私たちの人生は、選択の連続です。
朝、どの服を着るかという小さな選択から、キャリアや人間関係を左右する大きな決断まで、私たちは常に何かの分かれ道に立っています。
そんな時、あなたの心に浮かぶのはどんな声でしょうか。
「こっちの方が楽そうだ」
「失敗しなさそうなのは、こちらかな」
無意識のうちに、私たちは安全で、楽な道を選びがちです。しかし、もし人生をより面白く、豊かにする秘訣があるとしたら、それは真逆の選択にあるのかもしれません。
つまり、あえて「大変そうだ」「面倒くそうだ」と感じる方の道を選ぶことです。
なぜ「面倒な道」にこそ、面白いことが待っているのか
直感に反するように聞こえるかもしれませんが、「面倒な道」を選ぶことには、確かなメリットが隠されています。
第一に、「面倒だ」と感じるのは、それが自分のコンフォートゾーン(快適な領域)の外にあるから。楽な道は、すでに知っている景色の繰り返しです。しかし、険しい道には、見たことのない景色が広がり、予想もしなかった出会いが待っているでしょう。
その挑戦の過程で、私たちは新しいスキルを学び、困難を乗り越える力をつけ、確実に成長できます。
第二に、あえて困難な道を選ぶという行為そのものが、強い「覚悟」を生むから。楽な道を選んだ時の「まあ、ダメでもともと」という気持ちとは違います。「この道を行く」と決めたその覚悟が、私たちを粘り強くさせ、創意工夫へと導いてくれます。
その主体的な姿勢こそが、「たいてい上手くいく」という結果を引き寄せるのです。
「やらされたこと」が、いつの間にか「夢中なこと」に変わる
この「面倒な道を選ぶ」という話は、もう一つの興味深い現象と繋がっています。それは、誰かに半ば強制的にやらされたことが、気づけば自分にとってかけがえのないものになっている、という経験です。
子供の頃、親に言われて始めたピアノの練習。学生時代、嫌々参加した部活動。職場で、上司に押し付けられた骨の折れるプロジェクト。
最初は「やらされ感」でいっぱいだったはずなのに、いつの間にかその奥深さに気づき、上達する喜びに目覚め、心の底からのめり込んでいた。そんな経験はないでしょうか。
この二つの話—「主体的に面倒を選ぶ」ことと「受動的に面倒を与えられる」こと—の根底には、共通の真実が流れています。それは、私たちの成長や情熱の種は、多くの場合「食わず嫌い」という心の壁の向こう側にある、ということです。
自分自身で「選びなおす」
では、受動的に与えられたきっかけを、本物の学びに変えるものは何でしょうか。あるいは、主体的に選んだ困難な道を、最後まで歩き抜く力はどこから来るのでしょうか。
その答えは、「自分自身の意志で、その道を改めて“選びなおす”」という行為にあります。
スタートがどうであれ、私たちはどこかのタイミングで、その状況を自分のものとして引き受ける必要があります。「やらされている」から「自分がやりたいからやる」へと、意識のスイッチを切り替える瞬間です。
この「選択のしなおし」が行われたとき、化学変化が起きます。
- 視点が変わる:「こなすべきタスク」が「探求すべき面白いテーマ」になる
- 工夫が生まれる:「どうすればもっと楽できるか」ではなく「どうすればもっと面白くなるか」を考え始める
- 困難の意味が変わる:「やらされ仕事の障害」ではなく「自分が選んだ道の試練」となり、乗り越えるべき対象になる
この瞬間から、経験は単なる出来事ではなく、血肉の通った自分自身の物語になります。学びは深く、喜びは大きくなり、私たちは本質的な成長を遂げるといえます。
まとめ
もし今、あなたの目の前に二つの道があるなら。もし、あなたが何かを始めることに躊躇しているなら。その「面倒くさい」という感情を、少し違う角度から眺めてみてください。
それは、未知の世界への招待状であり、あなたを成長させるためのサインかもしれません。そして、どんなきっかけで始めたことであっても、それを「自分の道だ」と選びなおした瞬間から始まります。
次に人生の分かれ道に立ったら、少しだけ勇気を出して、心がざわつく方の道へ。