noteの連続更新をやめると宣言しました。昨日で連続投稿は終了。
誰かの期待を背負っていたわけでもないのに辞めると宣言した途端、なぜか一気に気持ちが楽になりました。無理に毎日更新しようと思っていなかったのに、もしかしたら無意識のうちに見えない何かを勝手に感じていたのかもしれませんね。
もともとnoteを始めたのは、日々勉強している中での気づきであったり、そこで感じたことなどをまとめていきたいなと思ったのがきっかけです。
Twitterでも日々の気づきや感じたことがあれば書き留めるようにしていますが、Twitterだとどうしても文字数に限界があります。頭の中で今すぐに140文字にまとめて表現できないことなどをnoteに書き留めておこうと思っていました。。
でも、なぜかその本来の目的から徐々にずれてしまうこともあったんですね。もちろんそれは、変化と表現することもできますが、意図しない方向へずれてしまいそうな時もありました。
だから、惰性で流れそうになっているものを一旦リセットさせるためにも、連続更新をやめることによって、スタートに立ち返ろうということです。
私の中では、noteは日記でもいいと思っています。日々の行動であったり、勉強したことや感じたことをまとめていくような活動日誌として書き残していくこともおもしろそうだなって。
なかなか雑記って取り組むのが難しいところがあります。どうしてもこれまでジャンルを狭くして深く掘り下げることで収益を求める媒体やブログを運営することばかりでした。そのため、今のように思ったことや感じたことをストレートに書き留めておける雑記をどこかに作っておきたかったのです。
きっと、見ている方とすれば、読みづらいし、分かりづらいし、何を言っているか意味不明なことも多くあると思います。でも、(物理的な)ノートってそんな感じでもいいですよね。他の人が読んでも読みづらいけど、自分にとって見たらとてもわかりやすくまとめてある、大学ノートのようなものです。
勉強会や講習会に参加して、聞いたことをメモしたノートも一見めちゃくちゃで、他の人が読んでも全く役に立たないような内容のときもあります。でも、自分にとって見たらとてもわかりやすくまとめられていて、将来的に自分の財産になるものだってありますよね。
それなら、鍵付きブログで淡々とやればいいという話にもなるのですが、誰でも見れるような場所に置くことでもしかしたら何万人に1人、何かの役に立つようなことであったり、ふとしたヒントであったり、プラスの影響を受けて前に進めるようなきっかけになるかもしれないなと思うのです。
実は私自身、そのような経験が過去にありました。
5年前だったか6年前だったか忘れましたが、ビジネスメモという形で誰かがインターネット上に気付いたことや学んだことを書いていました。
たった一記事のみのブログです。
内容はめちゃくちゃで、文章としては正しくない部分もいっぱいあるのですが、きっとその人が作業を進めていく上で必要だと思ったことや大事だと思ったことをとりあえず吐き出して書き殴っているような記事でした。
その中でその当時の私にグサッと刺さる言葉があって、それによって結果が大きく変わった文章がありました。
その内容がどのような内容だったか詳しく覚えていませんが、記憶を呼び起こして要約すると、
はじめから質を求めようとするな。圧倒的な量の中から質が生まれ、それを繰り返すことによっておのずと質が高まる。だから、量をこなしてないうちから効率を求め、数をこなすことから逃げているといつまでたっても質を高めることはできない。
みたいな内容だったと思います。
特に変わった内容でもなく、当たり前の内容で、むしろどこにでもあるような話です。もしかしたら、それ以前に同じような言葉を聞いたことあったと思います。
でも、その時その瞬間の私の精神状態、物事を受け入れる姿勢、そのときの環境、複数の条件が一致したことによってすんなりと入ってきました。
そんな経験ありませんか?
ああ、あのとき言っていたのはこのことか!と、一気に自分の中に落とし込んで理解でき、すぐに行動に移せるような状態です。
私はよくあります。
誰かのために、理想のノートを作ろうと思っているわけではないけど、何年か経った後に自分が見て点と点が線に繋がるようなノートであったり、誰かが見てその人が持っている点と、私の点が繋がることで、その人に線が生まれるようなことがあれば喜ばしいことです。
なかなか公式の場でこんなまとまりのない書き殴ったような文章を書くことはできませんが、ノートでは思ったことや感じたことなどをどんどん残していきたいと思うのです。
こんな使い方でも何か生まれるものがあると思うとワクワクします。明日はnoteを更新しません。