noteの位置づけをブログとしているのか創作物の発表場所としているのか、使い方は人それぞれです。
本日はタイトル通りなのですが、わずか三行程度の記事更新はどうなんでしょう?
「アリ?ナシ?」で言うと、私は「アリ」だと考えています。その理由としては、情報発信に関して誰かに強制される形はなく、自由形式で良いと思っているからです。
もちろん厳密に言うと、成約率を高める型だったり読み込んでもらうための型は存在します。だからといって必ずしもそれらに当てはめる必要はなく、重要なのは「伝えたいことを伝えること」です。もしくは「誰かに聞いてほしいことを発する」ことです。
最近のブログではありきたりの型に当てはめた記事ばかりが溢れています。それはそれでいいんでしょうが、なんだかつまらなく感じてしまうこともあるんですよね。
ここぞ!という記事の場合は、成約率を高める型だったり読み込んでもらうための型に沿って作り込み、それ以外は自由形式で発信してもいい。
また、メッセージ性を伝える記事じゃなくても、活動報告として利用している人もいるでしょう。その場合は三行記事でもいいですよね。何もやらなかった一日なら三行くらいの分量になることもあるでしょうし、他の活動に時間を取られて三行程度で終わることもあります。
ホリエモンこと堀江貴文さんの数年前のブログを見ても、ガチガチの型に沿ったものではなく長いときもあれば短いものもあります。ただし、ほぼ毎日ずっと書いています。
また、ここで詳しい名前は出しませんがインターネットビジネス界で有名な大御所も2005年から書いているブログで三行程度の記事のときもあります。少ないときは一行程度の日も・・・
それでも、その日どのような活動していたか、どのようなことを考えたか、だけでも継続して書いているのです。ほんとすごい。
毎年何億円と個人の利益(公的証明書を公表)で出ているのだからもう書かなくてもいいんじゃないかと思う部分もありますが、 そのような継続を何年も続けてやっているからこそその境地に到達しているのだとも言えます。
ブログ始めたての2005年の記事なんて「引っ越しましたー」なんて非常にライトな記事ですからね。過去をずっと遡ってその人の歴史を見れるのもブログのような媒体の良さです。
そして、個人の歴史が可視化していると高額な商品を販売したときに、ユーザーが購入する際の判断材料としても「歴史が可視化」できていることでプラスに作用します。
目的が「伝える」ことであれば三行で終わる程度の記事でもいいので、「これだ!」と思った媒体に対しては継続していくのが良いと思う次第です。
型や世間一般での常識にとらわれすぎて、本来の目的を見失わないようにしたいものですね。