「人と社会」は切っても切れない関係性にある中で、たまには立ち止まって考えてみることで思わぬ気づきを得られることがあります。今回は「富、地位、名誉」豊かさとはなにか?について少し考えてみようと思います。
富と地位・名声
お金も地位・名声もあってすべての幸せを手に入れたように思えても、心が豊かになるるかどうかはまた別問題です。
「心が豊か」なんてスピリチュアル的な話をしたいわけではないですが、日本語で適切な言葉を探したときに一番わかりやすい表現ができるかと思い、今号では心が豊かと表現します。
こんなことを話すとお金や名声は不要で、「お金がなくても幸せだ」「だからお金はそこまでなくていい」なんて言い出す人もいるのですが、そうじゃない。
お金は単なる手段であり目的ではない。そして、お金は単なる自分の信用を数値化したもので、それ自体に価値はまったくない、そう考えています。
一方で、お金ですべてを買えるわけではないが選択肢を手に入れることができるものだとも考えています。豊かさを考えたときにイコール幸せと置き換えると、「お金(信用度)=選択肢=幸せ(ゆたかさ)」と完全イコールではなくても、完全に切り離して考えるには難しい問題ともいえます。
現代はとても幸せな環境にあると思います。
なぜなら、選択肢がたくさんありそれを自分で決定することが可能な状態だからです。嫌な仕事を無理に続ける必要もないし、嫌な上司がいて人間関係がつまらないなら無理して働かなくてもやっていける社会です。
嫌な仕事を毎日愚痴を言いながら仕事したり同僚の同僚や上司の愚痴や文句を言いながらもその会社に属していたり、嫌ならさっさとやめればいい。その環境に身をおくことを選んでいるのは自分自身なのですから。
面接から仕事、そして退社までオンラインで完結するような仕事だって今では山ほどあります。東京に住んでたって地方に住んでいたって全く関係なく条件は同じです。田舎だから稼げないというのは単なる言い訳にすぎず、オンライン上でで都心部にある会社の採用面談を受けて仕事をすることも可能です。
もし仮に面接を受けて不採用だとしたら、単に企業から欲しい人材だと思われていないその人自身の問題であって、オンラインのみで仕事をする場合には住んでいる環境は関係ないのです。
仕事の収入だけにフォーカスするのであれば、自ら会社を起こして従業員を雇うのが一番早いし収入も安定します。ただ、人を雇うのにはリスクもあるし、面倒な人間関係も発生する。
今でこそこんな私ですが、過去には会社に正社員として勤めたこともあります。「今後絶対に会社には勤めないぞ」とかたくなに拒否しているわけでもなく、やりたい仕事で望んでいる環境と合致するならやるかもしれません。
やってみたいなと思えるような仕事があれば、バイトとして働いて経験したいとも思います。要するに、自分がやりたいと思っていることをやるだけの選択肢は今の社会には用意されていて、あとは自分が選ぶかどうかの状態です。
理想像を追い求める
普通に生きてたら、会社においては働いている自分の理想像であったり上司であれば理想の上司像、家庭においては理想の夫、理想の妻、なんてものを自らが創り出してしまいます。
この理想像によって、自分で自分の首を絞めてしまい、苦しくもがくような人生を送ってしまうこともあります。特に完璧主義者の性格の人に多いのですが、理想像を持ってそこに近づける努力をしつつも決して埋まることのない差分を常に追いかけてしまい、それが長年続くと疲弊して自己嫌悪に陥りやすくなるのです。
イメージに苦しめられる、キャラに苦しめられる。
どういった状況かというと、
「完璧を求めすぎた理想像を作ったことで現実と理想との隔離を常に感じ、埋まるはずもない差を一生ずっと追い求めてしまうが、結果的に自分で自分の首を絞めてしまうこともある」
が、一番近いでしょうか。
似たような状況として、西川先生が実際にその様子を本音で語ってくれています。
何をしても「常に乾いた感覚」に陥ることがあります。なんというか、好きなだけ喉に水を流し込んでいるにも関わらず喉が乾くのです。
仕事にせよ生き方にせよ、自らがコントロールできる状態にしておき、良くも悪くも周りの影響を受けないようにすることで限り無くストレスフリーの人生に近づけます。
何でも自分さえ望めば今の環境を変えたり、学びたいことがあれば勉強できる情報も揃っていたりする世の中でゆたかさを感じるために、どんな自分でいたいのかを見つめ直すことも大事ではないかと思う次第です。