上野の国立科学博物館で開催されている特別ミイラ展に行ってきました。ミイラ自体に興味があるわけではないですが、数千年の歴史に触れることは興味深いものがあります。
結果、ミイラ展に行ってみて良かったです。
今回はミイラ展では世界各国のミイラ43体が展示されていて、世界の地域ごとに分けられています。
ミイラと聞くとエジプトなど乾燥した地域だけかと思っていましたが、日本などアジアでもミイラが発掘されているんですね。
ミイラの保存方法にも歴史があって、多くの失敗の中からどのようにしたら腐敗しづらい形でミイラとして残していくのか?先代の人たちが試行錯誤していたことが垣間みれます。
一番興味深かったのは、自らミイラになろうと考え、実際にミイラとなって展示されていた日本のミイラです。
そこまで探究心を突き詰めていけることもすごいかと思いますが、最期の瞬間はどんな感じだったんだろうとか、途中でやめようと思わなかったのかなど、本人の気持ちを想像すると自分の生きてきた経験の中では理解できないようなこともたくさんあったのです。
ただでさえ数千年前のものが、今自分の目の前にあると思うだけでもワクワクする気持ちになります。
このミイラたちは自分がまさかこのような姿で多くの人に見られるとは思ってもいなかったでしょう。でも実際に、歴史的に重要な文化として、多くの人の役に立っています。
今回、ミイラはおもしろい、歴史を感じよう、イメージを膨らませよう、ということを話したいわけではありません。
何を伝えたいかというと、いま私たちが当たり前だと感じていることが、当たり前ではないこともたくさんあるということです。
ミイラの時代ではミイラとして残すことが当たり前でした。しかし、今ではそのような風習はごく限られた一部にしか残っていません。(残っていることも驚きですが)
当たり前のことが今では当たり前ではない。
戦争の時代だって同じだと思います。自分の家族を守る、相手は敵だとはいえ、同じ人間を殺すことが評価されていた時代もありました。
もしかしたら、今私たちが日常で感じている当たり前は当たり前ではないかもしれませんね。
お金は銀行に貯金するものだ。いい学校を卒業して、大企業に就職して、定年まで勤め上げることが成功だ。ほんの10年前まで当たり前だったことも価値観は大きく変わってきています。不思議ですよね。
ただ、今ある常識を疑うことから始めていかないと、得体のしれない大きな歯車にのまれたまま、自分の人生はあっという間に終わってしまうかもしれませんね。
今回は人生観や死生観についても考えるいいきっかけになった展示でした。